御船灯標
平成19年6月20日(水)

宇土半島の南岸は山が海に迫り出して、耕地の少ない土地柄であるが、その代わり海運が盛んで、米や麦などが天草の島々から集まり、温暖な気候と相俟って、味噌・醤油の生産が盛んだった由である。

三角港の開港前は、松合、松橋などは肥後の海運基地として栄え、薩摩のお殿様の参勤交代も松橋まで船で来て、ここから陸路、江戸に向かったとか。

しかし、これらの海岸は浅瀬に囲まれており、ここ御船沖も浅瀬とその先の岩礁のため、昭和55年12月25日(!?)に御船(みふね)灯標が点灯している。

海運の第一要件は、大きな船が安全に航行できる水路と、深い喫水の港であるが、この付近ではあてはまらないようである。一つの港町が栄え、また寂れていくのは、多くの要件がからみあってのことなのかも知れない。

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