大野灯台(おおのとうだい)
大野川河口は、遠く奈良時代から大陸との往来がありました。 江戸時代には加賀百万石の反映を背景に北前船(きたまえぶね)の寄港地として活躍しました。 大野町の船持ち浅勘七(あさかんしち)が明治17年(1878年)私費を投じて河口岸に灯竿(丸柱を建てその上に魚油を燃料として明りを灯した)を建て河口の目印としたのが大野港における灯台の始まりと言われています。 勘七は灯竿の規模を大きくするなど改善に努めて着ましたが、明治30年からは大野町が日和山に灯竿を建て明治45年まで管理していました。 大正に入ると高さ11メートル杉丸太の先端に500カンデラの電球を1個とりつけた私設の灯柱が河口に建てられましたが、昭和9年公設標識として認定され、以来大野町が管理するようになりました。 この灯柱が昭和25年海上保安庁に移管、昭和28年に現在の灯台に建て替えられました。昭和56年には光の強さを大きくするなど、機能の向上が図られており、また「日本の灯台50選」に選ばれました。 昭和29年大野港と金石港が併合して金沢港が誕生、同39年重要港湾の指定、同45年11月関税法による指定港として新金沢港が開港しました。 金沢港は北陸地方の広域中心都市である金沢市の都市港湾及び流通基地として年々拡充整備され、入港船舶も年々増加しました。金沢港の発展に伴い大野灯台の役割は益々重要なものとなっています。 |
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