みちのく灯台物語

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みちのく灯台物語

「♪海は広い~な 大~き~い~な~♪」そんな海を,灯台は岬や港から航海の安全を願い続けています。日本の洋式灯台は,慶応2年(1866)に徳川幕府が,英・仏・米・蘭の4ヵ国と改税約書の中で,燈明台を設置することを定め,明治政府になってから,イギリス人のR.Hブラントンほか二人の技師により建設場所の調査・測量等が行われて,明治2年(1869)に観音埼灯台が点灯したのが始まりです。
東北の灯台は,それから遅れること6年,明治9年(1876)に尻屋埼灯台が22番目,金華山灯台が23番目に点灯しました。両灯台ともに一部戦災に遭いながらも,今でもその当時の勇姿のまま岬の先端にそびえ立っています。
 灯台の管理は,灯明番士,灯明番,灯方などと順次改称されながら,今では海上保安官が実施しています。灯台も光だけでなく,人工衛星を利用した電波による船位システム(ディファレンシャルGPS)など,様々な方法で航海の安全の確保に努めるようになりました。
 荒れ狂う海原で,船人が見出す灯台の光。一日の漁を終えて向かう母港の灯台の灯火。灯台には,船と人の命が託されています。
 灯台は,岬を望む陸の市民にも,安らぎとロマンを与え,演歌や校歌,そして俳句などにも歌い込まれるなど,ふるさとや,おらが町のシンボルとして親しまれています。
ここに紹介する灯台は,人々の心に残る灯台が『灯台50選』として平成10年11月1日,第50回灯台記念日に,全国からの応募で選ばれた中から,第二管区海上保安本部管内の灯台をピックアップして紹介いたします。

入道埼灯台(にゅうどうさきとうだい)

【所在地】 秋田県男鹿市
【点灯年月日】 明治31年11月8日
【光り方】 単閃白光 毎15秒に1閃光
【高さ】 28m
【管理事務所】秋田海上保安部

入道埼灯台の画像です。 入道埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

明治31年11月 初点
昭和47年5月 無人化
平成10年11月8日 点灯100周年

《灯台のお話》

入道埼灯台は,沿岸灯台で船舶が陸地,主要変針点または自船の位置を確認する際の目標となり,とても重要な灯台です。
 白亜の灯台という言葉があるように灯台は,通常白色の塗装ですが,この灯台は,白黒の“しま模様”にしています。
 しま模様は,冬に灯台の周辺が雪景色となっても目立つようにするためで,白黒のほかに白赤のしま模様の灯台もあります。ちなみに,雪が降らない地域でも,海や空が背景となる灯台は,しま模様にしているところがあります。
 入道埼灯台のしま模様は,昭和26年からで,初めは黒色と白色がそれぞれ4本でしたが,平成5年からは,現在の白色4本,黒色3本にしました。灯台は白色というイメージを崩さないための全国統一ルール(昭和61年制定)で,白色の比率が多くなるようになるべく同じ太さで,白に始まり白で終わらせようというものです。何本に塗り分けるかは,目標として利用される距離付近で,最も目立つようにするため,灯台によって異なります。
 なお,入道埼灯台は男鹿半島の先端に位置する観光の拠点でもあり,この灯台は参観(冬期閉鎖:例年11月上旬~4月下旬)できるようにしていますので,灯台の上から日本海の眺望をお楽しみください。
 また,平成10年11月8日で点灯100周年を迎えたことを機に,(社)燈光会が,灯台資料展示室を開設し,灯台に関する貴重な資料や灯台の大型レンズも展示しています。

龍飛埼灯台(たっぴさきとうだい)

【所在地】 青森県東津軽郡外ヶ浜町
【点灯年月日】 昭和7年7月1日
【光り方】 群閃白光 毎20秒に2閃光
【高さ】 14m
【管理事務所】青森海上保安部

龍飛埼灯台の画像です。 龍飛埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

昭和7年7月 初点
昭和29年2月 船舶気象通報業務開始
平成10年2月 灯質変更(毎28秒から毎20秒へ)
平成18年3月 無人化

《灯台のお話》

龍飛埼には,作家“太宰 治”の小説「津軽」の碑,“石川さゆり”の「津軽海峡冬景色」が流れる歌謡碑が立ち,多くの人が訪れています。龍飛埼には,「ごらんあれが龍飛岬,北のはずれと・・・・」と歌われているように,津軽半島の最北端に位置し,海面から100メートルの所にあり,周りの景色にマッチした美しい白亜の灯台で,天気の良い日には北海道の山影を間近に見ることもできます。
 また,龍飛埼は「風の岬」といわれるほど年間を通して風が強いところです。この灯台の真下ではありませんが,地下数百メートルには青函トンネルが通っており,近くの青函トンネル記念館(冬期閉館:例年11月上旬~4月下旬)からケーブルカーに乗って竜飛海底駅に行くことができます。
 ちなみに,龍飛埼灯台から見える赤い灯台(竜飛港第一北防波堤灯台)のほぼ真下にトンネルが通っています。

大間埼灯台(おおまさきとうだい)

【所在地】 青森県下北郡大間町
【点灯年月日】 大正10年11月1日
【光り方】 群閃白光 毎18秒に3閃光
【高さ】 25m
【管理事務所】青森海上保安部

大間埼灯台の画像です。 大間埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

大正10年11月 初点
昭和20年3月 戦災により大破
昭和27年3月 十勝沖地震により被災
昭和28年7月 灯台建て替え
平成3年3月  無人化
平成21年10月 灯質変更(毎30秒から毎18秒へ)

《灯台のお話》

大間の地名は大澗から転じており,澗は港で「大きな港」を意味すると云われています。大間埼灯台は,平成12年にNHK朝の連続ドラマ「私の青空」の舞台となったマグロ漁で栄える本州最北端『大間町』の沖合約600メートルの津軽海峡に浮かぶ周囲約2.7キロメートルの平坦な小島“弁天島”に大正10年に設置しました。
 この“弁天島”には次のような話が語り継がれています。ある時,大間埼を通過していた帆船が嵐に遭って難破しました。その後,その廻りで漁をした漁船が網をさしたところ,弁天様が網にかかってきました。村人はその授かり物に大喜びし,村をあげてお宮を造り,祝うこととしにしました。初めは,現在,灯台が建っているところを選んで祀りましたが,そのころ島の周囲に座礁して壊れる船が多かったので,国で灯台を造ることになり,いろいろ検討した末,弁天様の祀のある場所が適地となり,お宮を移すことになりました。その際,島だと船でなければお参りできないという声が多く,結局四十八館(大間崎の小高い段丘:灯台職員の飲料水の井戸があった)の少し上のところへ祠を移し,旧暦3月3日の弁天様の例祭には海上安全を祈る大勢の参拝者が訪れました。それから間もなく,大間の村人達は同じような夢を見るようになりました。それは「私は蛇が嫌いなのに四十八館には蛇がたくさんいて困る。すぐ元の島に移せよ。」と,弁天様がお嘆きになっている夢でした。
 しかし,そう簡単に祠を移動させることもできずにいると,やがて毎日毎晩雨ばかりが降り続くようになり,一向に降り止む気配もなく,困り果てた村人達が和尚さんにおみくじを引いてもらうと,「島に移してくれと頼んでも移してくれないので,夜も安心して眠れない。雨降りには私の嫌いな蛇が出ないので,毎日毎晩雨ばかり降らしている。」とのことでした。
 そこで再び,お宮を弁天島の北側に移し,弁天様を祀ってから,この島を弁天島と呼ぶようになったといいます。現在,島には灯台と共に弁天様を祀る祠が仲良く納められ,津軽海峡を航行する船舶の安全を守っています。

尻屋埼灯台

【所在地】 青森県下北郡東通村
【点灯年月日】 明治9年10月20日
【光り方】 単閃白光 毎10秒に1閃光
【高さ】 33m
【管理事務所】八戸海上保安部

尻屋埼灯台の画像です。 尻屋埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

明治9年10月 初点
明治34年12月 石油灯から電気灯に変更 【我が国初】
昭和20年7月 戦災により運用不能
昭和26年6月 灯台復旧
昭和31年1月 商用電源導入
昭和51年10月 点灯100周年
平成17年3月 無人化

《灯台のお話》

 青森県下北半島の北東端にある尻屋埼灯台は,明治9年10月20日に完工し高さ約33メートルの煉瓦(れんが)造りの高大なもので,当時としては野島埼灯台(千葉県)に次ぐ大灯台で,現在でも我が国の代表的な灯台のひとつです。
尻屋埼灯台は太平洋戦争の末期,昭和20年7月に数次にわたり空撃を受け,灯台の灯室を含む各施設は徹底的に破壊しつくされ,その際“村尾”標識技手が殉職されました。
 破壊された灯室より少し低い窓のところから夜な夜なあかりが点くということで、「まぼろしの灯台」として話題になったのは,翌年の夏でした。灯台職員が目撃したのは5月23日が最初でしたが、7月には数名の漁師が訪ねてきて,「昨夜はひどい濃霧で,機関に故障を起こして漂流していたところ,灯台のあかりを見つけて,近くの浜に上陸することができました。」とお礼を言うために訪ねてきています。また,船舶運営会から「所属の船舶からの報告によると,横浜に向かうとき尻屋埼灯台は不動灯らしいあかりが点いていたが,帰りには消灯していて見えなかった。現状を知らせてほしい。」との照会を受けています。
 8月になって霧信号舎の屋上に仮設の灯火を点灯してからは,このような怪光の出現はなくなり,この現象は解明されないままとなりましたが,「殉職した村尾さんの霊が点灯した」という人々の霊魂説が信じられています。

鮫角灯台(さめかどとうだい)

【所在地】 青森県八戸市
【点灯年月日】 昭和13年2月16日
【光り方】 単閃白光 毎8秒に1閃光
【高さ】 23m
【管理事務所】八戸海上保安部

鮫角灯台の画像です。 鮫角灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

昭和13年2月 初点
平成9年3月 水銀槽式回転灯器からメタルハライドランプと反射鏡式回転灯器に換装
平成14年4月 無人化

《灯台のお話》

 鮫角灯台周辺は,県名勝地に指定されているように風光明媚で,また,付近では幾種もの鳥のさえずりが聞かれ,キジ,子連れのキツネ,リス,ときにはフクロウが訪れるほど自然環境に恵まれており,心を和ましてくれます。南側には緑の牧場(太平牧場)が一面に広がり,競走馬を目指すサラブレットが放牧されており,牧場せましと駆け回っています。さらに灯台のすぐわきには調教用のトラックがあり,一日数回騎手がかけ声をかけレースさながらの調教をしている姿を見ることができます。また近くには,ウミネコの繁殖地として天然記念物に指定されている有名な蕪島があり,繁殖時期には傘をさして歩かなければならないほどです。
 その他灯台付近には葦毛埼展望台,白浜海水浴場,種差海岸があり,海水浴,キャンプ等を楽しむ人々の姿が見られます。鮫角灯台は,遠足,観光コースのひとつとなっているため小学生,家族連れが訪れる憩いの場所でもあります。

陸中黒埼灯台(りくちゅうくろさきとうだい)

【所在地】 岩手県下閉伊郡普代村
【点灯年月日】 昭和27年7月1日
【光り方】 単閃白光 毎5秒に1閃光
【高さ】 12m
【管理事務所】釜石海上保安部

陸中黒埼灯台の画像です。 陸中黒埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

昭和27年7月 初点
昭和41年6月 普代灯台から名称変更
昭和51年4月 無人化

《灯台のお話》

 黒埼展望台の大きな地球儀の前に立つと,静かに回転を始める。西に進むと“秋田県入道埼”,日本海を渡り“北京”にいたります。大陸を横断しカスピ海を経て西に進むと,トルコの首都“アンカラ”,そして闘牛の町スペイン“マドリード”,さらに大西洋を飛び越えると新大陸は独立宣言が発せられたアメリカの“フィラデルフィア”が北緯40度上に位置します。
 陸中黒埼灯台は,春,桜吹雪に化粧され,夏,濃霧に覆われ,秋,雄大な太平洋を見おろし,冬,厳しい荒波に向かう白く優雅で気品のある灯台です。海抜130メートルの断崖に立ち,南方を望むと,男性的ともいうべき壮絶な絶壁。振り返って北部方向を眺めると女性的で柔らかな海岸線。遙かな年月によりはぐくまれ自然の織りなした極端な対象美がみられます。
 昭和22年普代灯柱として点灯し,その後、岩手県普代村から当庁へ移管され,昭和27年に災害復旧工事により、ほぼ現在の構造となり普代灯台として点灯しました。昭和41年6月に陸中黒埼灯台に改名しましたが,地元では今も普代灯台として親しまれています。

ヶ埼灯台(とどがさきとうだい)

【所在地】 岩手県宮古市
【点灯年月日】 明治35年3月1日
【光り方】 単閃白光 毎15秒に1閃光
【高さ】 34m
【管理事務所】釜石海上保安部

トドヶ埼灯台の画像です。 トドヶ埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

明治35年3月 初点(鉄骨造)
昭和20年7月 戦災により破壊
昭和25年5月 現在の灯台(コンクリート造)
平成8年3月 無人化
平成14年3月 点灯100周年

《灯台のお話》

 JR山田線宮古駅からバスに乗り,海岸線から山沿いに右に左にゆられて1時間20分。姉吉に到着。「アレッ…この道で良かったかな。」と,心配しながら浜から山道へ。季節は初夏。周囲は瑞々しい緑と木々の合間から見える青々とした海。
 急に展望が開け林の上に逆さになった大きな白い茶碗。いったい何だろう。林を通り抜けると,白亜の灯台が威容を誇ってそびえ立っています。歩くこと1時間10分。ここは市内中心部から最も遠い,いや,アメリカ西海岸に最も近い(?)重茂半島の先端。本州最東端です。沖を行く白いフェリーと,貨物船が旅情を誘います。本州四端の一つであり,本州四方位の最端地として岩手県宮古市,山口県下関市,和歌山県串本町,青森県大間町の各自治体の連携により,いろいろな活動が実施されているようです。
 映画「喜びも悲しみも幾歳月」で知られる灯台。その昔,ここで職員は家族と共に灯台を守って生活していたという。月日は流れ今はその面影もない。明治35年から戦後の一時期を除き,航行の安全のために沖合を照らしたヶ埼の灯。永遠なれ。

金華山灯台(きんかさんとうだい)

【所在地】 宮城県石巻市
【点灯年月日】 明治9年11月1日
【光り方】 単閃赤白互光 毎20秒に白1閃光,赤1閃光
【高さ】 13m
【管理事務所】宮城海上保安部

金華山灯台の画像です。 金華山灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

明治7年2月 起工
明治9年5月 完成
明治9年11月 初点
昭和20年7~8月 戦災
昭和21年2月   電化
昭和51年11月 点灯100周年
平成17年3月 無人化

《灯台のお話》

牡鹿半島から1キロメートル先に浮かぶ信仰の島,金華山 「すめろぎの御代さかえんとあずまなるみちのく山にこがね花さく」と万葉集に名前の由来を持つこの島は,東奥の三大霊場として延喜式内古社の黄金山神社(創建8世紀)多くの参拝客でにぎわっています。周囲26キロメートル,最高点445メートルのこの島は,全島花崗岩からなり,いたる所に奇岩が点在し太平洋の荒波が砕ける雄大な風景が広がります。
 原生林には,野生の猿(ニホンザル)や「神の使い」として大切に保護されている鹿(ホンシュウシカ)が棲んでいます。船着き場から遊歩道の道のり5.8キロメートルを歩くこと約90分,太平洋を見下ろす断崖の上に白亜の灯台は建っています。
 真っ暗な海を,ひとときも休むことなくじっと照らし続けてきています。北米航路の船が日本に帰るとき金華山灯台の灯りを最初に眼にして「日本に着いた」と何とも言えない安心感を得るといいます。明治の時代から金華山灯台に勤務した職員は約400人。先人達は,映画「喜びも悲しみも幾歳月」と同様に筆舌しがたい苦労の中で灯台の灯りを守り続けてきました。
 明治から戦後の頃までの記録には,(医療)-「病者自ら(病院)に往きて診療を受け難し。(中略)至急を要する病名にあっては,一回の診療を受けずして遂に死に至らしむこともあるべし」,(教育)-「子弟の通学できず」,(電灯)-「電池より」,(燃料)-「山から薪をとり使用」,(水)-「毎日家庭の瓶へ桶二杯宛運搬」,(風呂)-「5日毎入浴」などとあります。
 戦災では,潜水艦による砲撃で被弾し施設に甚大な被害を受け,灯台長が殉職しています。明治9年から職員が常駐し,その後は交代制で業務を遂行していましたが,平成17年3月に無人化しています。
灯台の構内には鹿の親子がのんびりと草を食み,ときどき猿の群も姿をみせているのどかな灯台です。

塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)

【所在地】 福島県いわき市
【点灯年月日】 明治32年12月15日
【光り方】 単閃白光 毎15秒に1閃光
【高さ】 27m
【管理事務所】福島海上保安部

塩屋埼灯台の画像です。 塩屋埼灯台の画像です。

《灯台のあゆみ》

明治32年12月 初点(石油白熱灯)
大正9年11月 白熱球に変更
昭和15年3月 灯台建て替え(地震により倒壊したため)
平成5年2月 無人化
平成11年12月 点灯100周年

《灯台のお話》

 白砂青松の美しい海浜が連なっている「いわき七浜」の海岸線の真ん中に突き出た岬角上に美しい白亜の勇姿が映えています。地元では,“豊間の灯台”と云われ親しまれてきましたが,最近では『美空ひばり』さんの名曲「みだれ髪」のモチーフとなり「ひばり灯台」のネーミングがすっかり定着し,いわき市の観光スポットとして重要な位置づけになっています。
 平成11年で点灯100周年を迎え,様々な歴史を刻みながら光り続け有形無形に人々に安らぎを与え,絵にもなり,詩にもなり,文字通り人の心の拠りどころになっている塩屋埼灯台です。灯台守の半生を描いた,名画「喜びも悲しみも幾歳月」は,当時の塩屋埼灯台長の夫人”田中きよ”さんが雑誌「夫人倶楽部」に寄稿した手記「海を守る夫とともに20年」の作品を映画のモデルとしたものです。
明治32年に初点灯し,昭和13年の福島県北方沖地震(M7.7)でレンガ石造の灯台は大破し,昭和15年に鉄筋コンクリート造に建て替え,レンガ塀は倒壊することなく残っていましたが,老朽化して,倒壊の恐れがあったため,平成15年に一部を残してFRP製の塀に建替えました。
 昔,この付近に大蛇が棲んでいたという伝説があり,灯台職員も目撃したと語り継がれています。
 塩屋埼灯台の敷地内には、(社)燈光会が灯台資料展示室を開設し,灯台に関する貴重な資料や灯台のレンズも展示しており,参観できるようになっていますので,灯台の上から太平洋の眺望をお楽しみください。

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