日本人が初めて作った海図『陸中國釜石港之図』

 海図第一号「陸中國釜石港之図」とは?


 日本人のみの手で作られた、日本最初の海図で、当時の海軍水路局(現在の海上保安庁海洋情報部)から明治5年(1872)に刊行されました。
 
     

 「釜石」が海図第一号の地に選ばれた理由は?


 当時の釜石は小さな漁村でしたが、すでに洋式高炉による銑鉄の生産に成功していて、官営製鉄所の開業を間近にしていました。また、当時の釜石港は開港していた函館と東京を結ぶ航路の中間補給地点として重要な港となっていたことが理由と考えられます。



 測量の方法は?


 当時の水深測量は、エンジン付の小舟を使用して、測深に投鉛、位置測量に六分儀と三杅分度儀を使ったとされている。
 当時世界的に普及していた英国海図の様式によるもので、海岸の地形、水深、浅所が今の海図と比べても遜色がない精度で詳細に記載されています。





誰が測量したのか?


 測量は、明治4年(1871)に北海道沿岸の測量を命ぜられた測量艦「春日」(艦長:柳楢悦 1,269トン)がその測量を終えて、その帰途に釜石港の測量を行いました。

    
 測量艦「春日」  艦長:柳楢悦(やなぎ ならよし)
彼は、天保3年(1832)に津藩の武士の子として生まれた。
初代水路部長を勤め明治21年に退官し貴族院議員となる。明治24年(1891)享年60歳で没した。