文政八年(一八二五年)ときの重臣野村軍記が大目付役を兼ねて寺社奉行であったとき、町々にふれてこのお祭りを盛大に行なわせ、当時既に鮫町に伝えられていた虎舞が、このときから参加するようになったといわれています。
またこの年の九月には騎馬参拝を行うことになり、甲冑に身を固めた騎馬および徒歩の武者遥か幟や馬印を揃え戦場から凱旋したときの姿で行列に参加したのが現在の武者押のはじまりといわれております。
このように初めはおがみ神社だけの行列だったものが、明治二十九年、日清戦役戦勝の報恩と慶祝の意味で、盛大に行なわれることになったのを契機に、新たに新羅神社と神明宮の御輿も参加し、文字どおりの三社大祭となり、このときから鶏舞、駒踊りなども参加するようになったといわれています。
このお祭りの呼物はやはり何といっても三社の御輿渡御と各町内および事業所などの繰り出す力作揃いの山車にあります。
昔は現在のような山車ではなく、有力な町家が美しく飾りたてた人形を台の上に載せ、店方の若者達に担がせて掛声勇ましく練り歩いたといわれております。
人形は江戸(東京都)、京都方面から買い入れたもので目をうばうように美しいものであったといいますが、時代の流れに従い、毎年同じ人形ではあき足らず、おのおの工夫を凝らした人形が各町内ごとに作られるようになり、車に載せて曵かれる山車も現れたといわれます。
最近の山車は毎年趣向の変わったもとなり、山車コンクールの覇を目指して、芸術の粋を凝らし華麗さを競うというところに非常な人気が沸騰し、年々多くの観衆を楽しませています。
青森県ではねぶた祭りに並ぶ八戸市最大の年中行事として、約二百八十年にもわたる八戸独自の祭りとして伝統を築いてきたものです。
機会がありましたら祭りの時期に是非八戸にお越しください。